知多半島名物・半田生せんべいは徳川家康と桶狭間の戦いがキッカケだった!

愛知県:知多半島

知多半島がある愛知県半田市に生せんべいという柔らかいせんべいがあります。食べてみると、せんべいというより、ういろうに近い味と触感です。この生せんべいは、戦国時代に徳川家康と桶狭間の戦いがキッカケで生まれたお菓子という説があります。どういう内容なのか?現地レビューも含めてお伝えします。

 

 

若き日の家康

徳川家康は若かりし頃、松平元康と名乗っていました。永禄三年(1560)の桶狭間の戦いでは、大将・今川義元から重要な任務を与えられて、尾張国に出陣していました。

この時、松平元康(徳川家康)は駿府(すんぷ:現在の静岡市)に住んでおり、尾張に赴くので幼い頃に分かれた母に会いに知多半島に立ち寄りました。元康の生母・於大の方(おだいのかた)は、現在の知多郡阿久比町に城を持っていた久松氏と再婚していたからです。

さて、知多半島を訪れた元康は、民家に干してあったせんべいを生のまま食べてしまいます。これがとても美味しく、献上するようにと命じたほどでした。それが現在の半田市名物・生せんべいとなりました。

>>総本家田中屋公式サイト

 

現場の岩滑城をゆく

総本家田中屋公式サイトには、桶狭間合戦後に家康が来たみたいなことが書かれていますが、実際のところ、敗軍の将となった家康は、織田軍の賞金首状態になっており、大急ぎて岡崎の大樹寺に向かっています。

だから知多半島で民家のせんべいを食べている余裕はなく、この話が本当だとしたら桶狭間合戦前に母に会うために立ち寄ったのではないか?というのが私の感想です。

さて、その岩滑城址は現在、常福院になっています。石垣や土塁などの城の遺構は残っていませんが、常福院の山号が甲城山という、城を想わせるものです。また北側は矢勝川が迫っており、天然の堀だったのではないか?と想像できます。

>>岩滑城址の地図

 

これは岩滑城址(常福院)の北側の写真。新美南吉の童話・ごんぎつねに出てくる彼岸花(ひがんばな)の名所でもあります。ここにあの徳川家康が立ち寄ったと思うと、家康ゆかりの貴重な史跡でもありますね。

 

家康が食べた生せんべいはどれ?

現在、総本家田中屋では、4種類の生せんべいが販売されています。それが黒、白、抹茶、ゆずです。抹茶とゆずはまだ新しく、もとは黒(黒糖)と白でした。黒糖は戦国時代には普及してないので、家康が食べたのは白の生せんべいが近いのかなと思います。

知多半島に住んでいる方や愛知県民には有名な生せんべい。でもそのルーツが徳川家康であり、桶狭間の戦いというのは、戦国時代が好きな方も要チェックだと思います。

 

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