犬山銘菓「有楽窓」の由来とは? 織田長益と国宝茶室・如庵、桃の霊力

愛知県:尾張地方(名古屋市含む)

愛知県犬山市に織田信長の弟で戦国武将だった織田長益ゆかりのお菓子があります。それが有楽窓です。これは晩年、茶人となった織田長益が作った茶室の窓にちなむお菓子です。織田長益とはどんな人物だったのか?そしてなぜ茶室を作ったのか?その詳細を見てみましょう。

 

織田信長の弟はこんな人でした

織田長益(ながます)の父・織田信秀には24人の子どもがいました。織田信長を研究している谷口克広(たにぐち かつひろ)氏の説によれば、信長は三男、長益は十一男です。兄である織田信長との年齢差はなんと13歳。

織田信長天正二年(1574)尾張国知多郡を与えられ、大草城(愛知県知多市)を築城します。それ以後は信長の長男・織田信忠(甥)の旗下にあったと思われ、武田氏を攻める甲州征伐などに従軍しています。

本能寺の変で信長亡きあとは、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に従い、茶道に興味を持ち千利休の弟子となります。秀吉亡きあとは徳川家康に従って、慶長五年(1600)の関ケ原の戦いにも出陣しています。

 

大坂夏の陣、冬の陣で豊臣氏が滅亡すると、長益は京都に隠棲し、茶の湯に専念し、趣味に生きました。茶人として生きた長益は有楽斎(うらくさい)と称し、京都の建仁寺に創建した茶室を建立します。これが現在、犬山市に移築されている国宝茶室の如庵(じょあん)です。そこに有楽窓という、有楽斎が発案した窓があり、その有楽窓をお菓子にしたのが若松屋阡壱(わかまつや せんいち)の有楽窓です。

>>若松屋阡壱公式サイト

 

 

なぜ桃なの?古事記に登場する霊力不老長寿の思想

若松屋阡壱のお菓子・有楽窓は桃が練り込んであります。なぜ桃なのか?それにはいくつかの理由があるのです。

  • 犬山市の特産が桃
  • 桃は古事記にも登場する魔除けの果実
  • 中国では不老長寿の果物と伝わっている

これにちなんだのかわかりませんが、同じく犬山城にある国宝・犬山城天守には桃の瓦があります。魔除けの意味なのでしょうか。

 

食べてみた感想

有楽窓は個包装のお菓子でした。食べてみると桃の果肉でしょうか、すこしネッとりとしてほのかに香る餡が練り込まれており、緑茶に合います。また夏は冷やして食べるとアイススティックのように食べることができます。

この有楽窓を販売している若松屋阡壱(わかまつや せんいち)は、かつての犬山城城下町から少し離れた場所にありますが、支店が名鉄犬山駅東口を出たヨシヅヤ犬山店にあるので、駅の近くで購入するならヨシヅヤ犬山店がオススメです。

>>ヨシヅヤ犬山店の地図

 

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